昭和学院秀英中学校の卒業生に学校のリアルをインタビュー

国公立や早慶上理への進学実績が急成長。現役合格率は80%!!補習や課題など手厚いフォローで生徒をサポート。毎日の勉強習慣を身につけ、現役での合格を実現する。

聞き手:
インタビュー日:2024年3月14日

卒業生経歴

昭和学院秀英中学校 → 昭和学院秀英高等学校 → 慶應義塾大学文学部4年(インタビュー時)
今回は昭和学院秀英中学校・高等学校を卒業し、慶応義塾大学文学部へと進学したAさんにインタビューをしました。近年、国公立や早慶上理等の難関大学への進学実績が着実に伸びており、現役合格率も8割と高いことで注目されている昭和秀英。Aさん自身も現役で慶應へ合格しています。この高い現役率の原因は一体何にあるのでしょうか?
海外研修がきっかけで外国人との交流を楽しめるようになった
――まず,昭和学院秀英中学校にご入学された動機をお聞かせください。 初めは都内の女子校が第一志望でした。しかし、昭和学院秀英中学校(以下昭和秀英と記載)の文化祭へ行った際に、生徒が皆楽しそうに出し物を提供している姿に憧れて、この学校へ行きたいと感じるようになりました。特に、当時見た演劇は強く印象に残っています。 また、私は幼少期から英会話教室に通っていて、中学・高校でも英語をたくさん学びたいと考えていたので、英語教育に力を入れているという昭和秀英への入学を決めました。 ――昭和秀英の文化祭や英語教育に魅力を感じてご入学されたのですね。他に受験した学校はありますか? 私は、12月に行われた推薦入学試験で合格したので、他の学校を受けることなく、昭和秀英への入学が決まりました。 ――高倍率の推薦入試を突破されたとは、素晴らしいです。先ほど、昭和秀英は英語教育に力を入れているとのことでしたが、具体的にはどのような取り組みがありましたか? まず、英語の授業のレベルが高かったです。高校生の頃の授業では、ビジネスシーンでの英会話練習や、英語でのディベートをしていました。大学の講義のような授業でした。 ――高校生でそのようなレベルの英会話を扱うとは、珍しいですね。英語の授業は基本英会話を習うのですか? いいえ。毎回英会話を習うわけではなく、もちろん文法の授業もありました。当時は大学受験を意識していたので、英会話の授業はあまり意味がないと感じていましたが、やはり今の時代、英語が話せる人が求められるので、思い返すと為になる良い授業でしたね。 ――受験だけでなく、その先も意識した授業だったのですね。他には昭和秀英独自の英語教育はありましたか? 高校1年生の頃に、海外研修がありました。アメリカへ行き、3週間ホームステイをしました。この研修は、内部生は全員参加でしたが、外部生は成績優秀者が数名参加できるというものでした。 ――現地ではどのようなことをしたのですか? 平日は現地の日本人学校へ行き、英語で授業を受けました。休日はホストファミリーと出かけることが多かったです。私は、ホストファミリーと小さな船で無人島へ行きました。 ――それは大変貴重な体験ですね。高校1年生だと、英語でホストファミリーとコミュニケーションを取るのは難しくなかったですか? そうですね。最初は苦戦しましたが、ホストファミリーが温かく迎えてくれたので、最終日にはとても仲良くなりました。海外研修後も連絡を取り合い、翌年にはホストシスターが日本に遊びに来てくれたんです。彼女とは今でも連絡を取っていて、誕生日やクリスマスにはお互いプレゼントを送りあったりしています。 ――今でも連絡を取っているとは驚きです!やはりこの海外研修を通じてAさん自身の海外志向は強まりましたか? はい。元々英語は好きでしたが、実際に外国の方と話すことには自信がなく、抵抗がありました。しかし、海外研修を経験して、外国の方とコミュニケーションを取ることが楽しいと感じ、もっといろいろな国の人と話してみたいと思うようになりました。 大学1~3年時はコロナの影響であまり海外には行けませんでしたが、4年生時には12~13か国訪れ、様々な国の人と交流をしましたね
好成績の秘訣は「疑問を残さず、その日のうちに復習」
――それでは、勉強面のお話に移ります。Aさんの中学・高校時代の成績についてお伺いしてもよろしいでしょうか。 定期テストは毎回、学年順位30位以内の人の名前が掲示板に張り出されていたのですが、中学・高校合わせてほとんど毎回名前が載っていました。全科目の総合では載らなくても、どれか1つ以上の科目で掲示板に名前が載っていました。 ――つまり、ほぼ毎回学年順位30位以内をキープしていたのですね。素晴らしいです。好成績の秘訣を教えていただけますか。 疑問をなるべく残さないようにしていましたね。授業をしっかりと聞き、わからない部分は先生に質問して解決していました。また、毎回授業で課題が出されるので、それを使ってその日のうちに復習をしていました。 ――日々コツコツと勉強することで好成績をキープしていたのですね。毎回の授業で課題が出されるというのは、全科目でしょうか? はい。主要科目である国語、数学、英語、理科、社会全てです。 ――5科目全てで課題が出されると、かなり大変そうですが…。 その通りなんです(笑)。毎日課題を消化するのに2時間ほどかかっていました。ただ、課題をやらないと次回の授業の小テストが解けず、成績が落ちてしまうので、毎日必死にこなしていました。中には課題をやってこない人もいましたが、そのような人は放課後に残って課題を消化するよう指導されていました。 ――かなり細かく管理されているのですね。ここまで課題があると、部活動との両立は厳しかったですか? 私は中学の頃は弦楽同好会に所属していました。活動頻度は週3日だったので、勉強との両立はしやすかったです。部活のある日は大体18~19時ごろ帰宅し、ご飯・お風呂・課題を済ませ、24時前には寝るという生活をしていました。帰宅してからはあまり休む暇がなく、毎日があっという間に過ぎていましたね。 ――高校でも弦楽を続けていたのですか? 高校では陸上部に所属していました。活動頻度は週4日だったので、中学の時と同様に、比較的両立がしやすい方でした。
充実した補習制度。しかし、高校での通塾率は他進学校と変わらず?
――課題の提出頻度や管理の細かさを見ると、昭和秀英はかなり勉強面でのフォローが手厚いように感じます。課題の他には何か勉強面におけるサポートはありましたか? 他の学校に比べると、補習がとても充実していましたね。まず、全員が強制参加の朝学習が毎日ありました。これは毎朝8時から15分間各自で自習をする時間でした。たまにこの時間を使って、漢字や英単語などの小テストをすることもありました。この朝学習は中・高6年間毎日実施されていました。 ――実質朝8時に始業ということですよね。他の学校と比べるとかなり早いですね… そうですね。皆7時台には学校に来ていました。私も6時半くらいには家を出ていました。 ――朝が苦手な子には大変そうな補習ですね。他にはどのような補習があったのですか? 任意参加でしたが、週3日ほど放課後に補習がありました。これは先生が授業をするスタイルで、主に授業の復習や次回の単元の予習をしていました。参加人数は大体学年で30人程でしたね。 また、高校の頃は、先ほどの朝学習の前に30分ほど自習する補習がありました。これも任意参加で、空き教室に集まってやっていましたね。 ――ほぼ毎日のように何かしらの補習が実施されていたのですね。夏休みや冬休みなど長期休暇中の補習はありましたか? 夏期講習と冬期講習がありました。こちらも任意参加ではありましたが、ほとんど皆受けていた覚えがあります。 ――かなり充実した補習ですが、塾に通っている人は少なかったですか? 中学の頃はこれらの補習を活用している人が多く、塾に通っている人はほとんどいませんでした。しかし、高校に上がると、皆大学受験を意識し始めて、半分くらいの人が塾に通い始めました。高2,高3と学年が上がるにつれて段々と通塾する人が増えていき、最終的にはほぼ全員が塾に通っている状態でした。中には塾に通わずに受験を乗り越えた人もいましたが、学年で数人でした。 ――通塾率については、他進学校と同様といった感じですね。Aさん自身はいつから通塾し始めましたか? 私は高校1年生の頃、苦手な数学を強化するため、個別塾に通い始めました。そこでは受験勉強というより、学校の授業についていくために通っていました。高校2年生になると、クラスが文理で分かれます。そこで私は文系を選択したので、受験に向けて国語・英語・社会を強化する塾へ変えました。
勉強面だけだはなく生活面でも!先生方の手厚い指導
――昭和秀英は近年、難関大学への進学実績が伸びており、また現役合格率も高いことで注目されていますが、Aさんはこの原因は何だと思いますか? やはり先ほど話した、充実した補習が一つ目の原因だと思います。私も補習にはよく参加していて、そこで授業の予習・復習ができていたのですごく役に立ちました。また、毎日のように補習があるので、自然と毎日学習する習慣が身に付きました。 二つ目の原因としては、中学3年生の終わりに実施される大きなテストが挙げられると思います。これは高校へ上がるためのテストで、先生からは「成績が悪いと高校へ進学できないぞ!」と脅されます。(実際はそんなことないのですが…(笑))ただ、皆中学の総まとめテストということでかなり力を入れて勉強していましたし、ここで点が悪かった生徒は、その後先生からの指導をみっちりと受けていました。このテストがきっかけで勉強への意識が変わる生徒も多く、中学時代成績が悪かった子でも高校からは切り替えて勉強し、現役で第一志望に受かっていました――先生方の指導がとても手厚いのですね。 そうなんです。これは勉強面だけではなく、生活面でも面倒見がよかったです。中学の3年間は、毎日その日あったことや悩み事をノートに書いて、先生に提出していました。交換日記のようなものです。 ――直接では言いづらいことでも文章ならば相談しやすいですよね。先生の指導が手厚い反面、校則が厳しかったということはないですか? 中学時代は厳しめでした。髪染めやメイクNGで、スカートや靴下丈は決められていました。違反しているとすぐに注意され、怒られるので皆守っていました。スマホについても持ち込みはOKでしたが、校内では電源を切るように言われていました。中にはこっそりと校内で使っている人もいましたが、こちらもバレてしまうと注意され、没収されてしまいます――高校でも同様なのですか? いいえ。高校になるとかなり緩くなります。身なり(髪型・服装・化粧)に関する校則は中学と同様にあるのですが、守っている人は少なかったですね。スマホに関しても電源を切り、校内での使用は控えるように言われていましたが、ほとんど皆使っていましたし、先生方も黙認していました。 ――中学とは大違いですね。行事に関しては何か不自由さを感じることはなかったですか? 行事において不自由さを感じることはありませんでした。特に厳しい縛りはなく、修学旅行・文化祭・体育祭とどれも楽しかったです。私が一番記憶に残っているのは文化祭で演劇をやったことですね。クラス一丸となって取り組んだので、準備期間を含めて最高に楽しかったですし、何よりもあの時の達成感は忘れられません。
勉強が苦手な人こそ昭和秀英へ
――どんな人がこの学校に合うと思いますか? 勉強面におけるサポートがかなり手厚いので、勉強が苦手な人こそ合うかもしれません。昭和秀英で6年間過ごせば、自然と勉強の習慣が身につくカリキュラムになっていると思います。 ――この学校に入学してよかったと思いますか? はい。よかったと思います。先生方は面倒見がよく、大変な時に手を差し伸べてくれましたし、行事に関してもかなり力を入れていて、楽しい学校生活を送ることができました。また、何よりも気の合う友人に出会えたことが一番よかったですね。中高時代の友人とは今でも連絡を取り合い、よく遊びや旅行に行っています。
その他細かい情報
・部活の加入率について 中学では7~8割、高校では6割くらいの人が部活に加入していた。ただ、高校では勉強に専念するために途中で辞める人も多かった。 ・成績が悪い人へのフォロー体制について 定期テストで赤点を取った人に対して、補習があった。内容は主にテスト範囲の復習。 ・文系、理系の比率 高校2年生で文理に分かれる。最初は文系:理系=5:5だったが、理系から文転する人がいたので、最終的には文系:理系=6:4くらいだった。 ・内部生と外部生の関わりについて 高校3年生の時に初めて内部生と外部生でクラスが混ざる。それまでは分けられていたので、行事や部活以外で関わることはあまりない。 ・学食について 学食はなかったが、パンを売っているところがあった。中学生・高校生どちらも買いに来るので混んでいた。 ・購買について 購買はなかった。代わりにパンの自動販売機があった。 ・プールについて 室内プールがあったが、温水ではなかった。中学の3年間のみプールの授業があった。6月に女子、9月に男子と分けられていた。 ・退学、留年について 家庭の事情や留学により付属高校へ進学しない人は数名いたが、成績不良や素行不良で退学する人はいなかった。留年についてもいなかった。先生のフォローが手厚いので、留年となる前に補習や指導を行って救っていた。 ・いじめへの対応 中学生のころ、男子生徒数人のいじめが発覚し、学年集会が開かれた。本人たちは「いじっているだけ」という認識だったが、先生方は厳しく指導していた。それ以降、いじめは見ていない。 ・不登校者へのフォロー体制について カウンセラーがいる相談場所があった。また、保健室登校も許可されていた。さらに、一学年に一人学生指導の先生がいたので、担任の先生に相談できないことはその先生に相談していた。

インタビュアーあとがき

私は前回、自由な校風で有名な県立千葉に関する記事を書いたので、今回は真逆だなあと感じながらインタビューを聞いていました。近年、進学実績が右肩上がりの昭和秀英ですが、これほどまでに徹底した指導があったとは初めて知りました。現在、渋谷幕張・市川・東邦が千葉御三家と言われていますが、ここに昭和秀英が入ってくるのも近いのではないかと思いました。そうなると、私の母校である東邦の立場が危ういかもしれませんね…。
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