桐蔭学園中等教育学校の卒業生に学校のリアルをインタビュー

荒れていた小学生時代から、桐蔭学園の教育で立ち直り、高校では学年代表になるまでに急成長した

インタビュー日:2023年1月12日

卒業生経歴

桐蔭学園中学 → 桐蔭学園高校 → 明治大学法学部(インタビュー時2年生) ※2019年から桐蔭学園中学は廃止され、桐蔭学園中等教育学校に併合されている。この卒業生は、併合前の桐蔭学園中学校に在籍し、桐蔭学園高校に進学した。
非常に落ち着いた卒業生にインタビューしました。今の落ち着きようからは想像できないくらい小学生の時は荒れていたらしいですが、剣道部の厳しい恩師のおかげで素行良好になり、高校では学年代表を任されるくらい先生から厚い信頼を得た卒業生です。その成長の過程をどうぞ!
荒れていた小学生時代。中学剣道部の厳しい顧問のおかげで立ち直り、当たり前のことを当たり前に行う大切さを学んだ
ーーどうして桐蔭学園中学に入学しようと思いましたか。 元々は地元の公立中学に進学する予定でしたが、小学5年、6年あたりから自分が荒れてしまって、やんちゃなグループに入っていたんです。それで周りから問題児扱いされていました。 もしこのまま公立中学にいったら、やんちゃなグループとそのまま関わって育つことになるんじゃないかと親が心配して。 だから、6年生の秋ぐらいから、親の意向により急遽中学受験することになって、受験勉強を始めました。通える範囲にあって、学力的に行ける学校を探したところ、桐蔭学園を受けることになったという流れです。 加えて、桐蔭学園は高校からグッと学力のレベルが上がりますし、以前は東大を何人も輩出していたこともあり、伝統的な良い学校というイメージがあって、僕自身も前向きに受験しました。 ーー小6秋からの勉強で桐蔭学園に受かるまでの学力を身に付けたのはすごいですね。 頑張りましたね。結構楽しんで受験勉強をやれました。当時社会を面白く感じて、それが大学生の今でも政治経済系の学問に取り組んでいるきっかけになっています。 ーー桐蔭学園に入る前に持っていた学校へのイメージは、入学後変わりましたか。 そうですね。入学前は非常に怖い先生が沢山いると思っていましたが、非常に怖いと思い込んでいた分そこまでではないように感じました。でも一般的な学校と比べると規律が厳しいとは思います。 ーー例えばどのようなところに規律の厳しさを感じましたか。 髪型や身だしなみをきちっとしていないと怒られるのはもちろんなのですが、最寄り駅のバスロータリーでも先生が見張ってるんです。最寄り駅から学校へのバスが出ているのですが、そこで服装が乱れていたり、イヤホンしてたりすると先生に注意されます。 あとは、僕は剣道部だったのですが、その顧問の先生が・・・。 ーー厳しかったのですか。 めちゃめちゃ厳しくて、怖かったです。ただ、おっしゃっていることは正しいので本当に精神面で鍛えられました。 中学に入ったばかりは、小学生時代のやんちゃな感じが抜けきれていなくて、よくご指導いただきました。当たり前のことを当たり前にできるようになれと。10分前行動、提出物は期限までに必ず出す、集団行動では周りのことを考えて行動するなど、本当に一つ一つは当たり前のことですが、徹底して指導されました。 だから大学生になった今でも遅刻はしないし、課題も全て期限内に提出しています。 大学生になると「1回くらい課題を出さなくても良いでしょ」と言う知人も周りにはいますが、僕は決して流されず、「いや、出すのが当たり前でしょ」と、きちんと提出しています。 遅刻も絶対したくないので、10分前に着く電車の一本前の電車には乗るようにしています。 結果的に社会の常識を身につけさせてくれた顧問の先生には感謝しています。 ーーその先生とは今でも懇意にしていますか。 はい。厳しい先生でしたが、部活を続けているうちに距離が縮まって、卒業した今でも繋がりがあります。この前も卒業生として剣道部に顔を出し、年末の稽古納めを先生と一緒にやりました。 僕が元々やんちゃで成績も悪かったので、「まさかお前が明治大学に行くとはな」と言われましたよ。
悪童だった自分を見捨てないでくれた学年主任の先生に感謝
ーー厳しくも教育に真摯な良い先生なのですね。剣道部の顧問の先生以外にも特に思い出のある先生はいらっしゃいますか。 何人かいらっしゃいますが、中1から高校3年生まで関わってくれた学年主任の先生には非常にお世話になりました。 僕は中学の頃は本当に問題児扱いされていたんです。成績もかなり悪かったですし、素行も悪くて、何かと先生の間で悪い意味で話題になる生徒でした。「あいつ、またやらかしたぞ」みたいによく言われていたみたいです。 でもその学年主任の先生は見捨てないでずっと気にかけてくれていて。何かと声をかけていただきました。立ち直ったのは、その先生のおかげもあります。 悪かった状態から立ち直って、高校では猛勉強して成績も上げたので、先生にとっても印象深い生徒だったようで、卒業生代表に選んでいただきました。
高3春の偏差値35。塾なしで毎日10時間以上勉強し、明治大学現役合格へ
ーー中学では成績が悪かったと聞きましたが、高校から成績が良くなったのは何か原因がありますか。 スポーツ推薦で大学に行くことが難しくなったからです。元々剣道を真剣にやっており、大会で活躍して推薦で大学に行くつもりでした。ですがコロナで高2の全国大会が中止になって、推薦の資料とする大会がなくなってしまいました。ですので、これはもう勉強で進学するしかないぞということで、剣道部の練習時間を少し減らして勉強時間に回しました。 剣道部には1軍、2軍みたいな区分があるのですが、自分は元々1軍で、週6日練習、残りの1日も自主練するのが暗黙の了解になっていたので実質週7日練習になっており、勉強時間を確保しづらかったんです。 一方で2軍の練習は週4日で、1軍に比べれば勉強時間を確保できるので、2軍に所属することにしました。高3になってからは剣道部を休部し、がっつり勉強するようにしました。 高3までは勉強する時間が少なく、高3春時点では偏差値が35位でしたが、剣道部を休部してからは毎日平均10時間程度勉強して、学力が急上昇しました。学校の評定も満点の5をとって、明治大学に合格することができました。 部活で朝早いのに慣れていたのも勉強に役立ちました。みんなが来る1時間前には学校にきて、静かな環境の中で朝勉しましたね。 ーーそれまであまり勉強をやっていなかったのに、急に方向転換して勉強に真剣になれたのがすごいです。 僕は良くも悪くも周りに影響されやすくて。受験を一緒に頑張ってくれる友達の存在が大きかったです。 僕が高校3年生になって、早稲田大学や明治大学を目指すと親に言った時、親に「行けるわけないだろ」と言われたのがとても悔しくて、見返してやろうと思ったんです。それで一人で塾に行かずに勉強をやり切ってやろうと思ったのですが、やはり一人でやり続けるというのは中々難しく。 それでも塾には行かなかったですが、友達に大いに助けてもらいました。上智大学を目指している友達がいて、その子の成績が良かったので、勉強の仕方を教えてもらったり、一緒に勉強したりして。その友達がいたからこそ自分も頑張れたと思います。 先生が常々「受験は団体戦だ」と言っていた意味が、今では良くわかります。
アクティブラーニング形式の授業で自律的に考えて行動する力がついた
ーーここまでお話を聞いていると、自分でしっかり考えて目標に向かって行動できているように思います。桐蔭学園の教育による影響があると感じますか。 人によると思いますが、自分自身は桐蔭学園の教育のおかげでそのようになっていったと感じます。 アクティブラーニングという授業が中1からあり、自分の考えと他人の考えをまとめて発表するというような授業なのですが、非常に自分の頭で考えさせられる授業でした。 他の授業でもペアワークが多く、自分の考えをまとめて相手に伝えるということを日頃から練習している状態で、気づけば高2、高3くらいには、自分の考えをわかりやすく相手に伝えるということが自然とできるようになっていたと思います。 それが直接的にどれくらい影響があったかはわかりませんが、自律的に考えて行動するという性質を身につける上で役に立ったと思います。 ーー桐蔭学園では、自分の考えを深めて発表する授業として、「未来への扉」という授業もあるそうですね。 そうですね、個人的にはアクティブラーニング型授業の集大成のように感じました。大学のゼミみたいな印象です。いくつかテーマがあって、自分の好きなテーマを選んで、調査して、発表します。 自分は人体・スポーツ関連のテーマを選び、筋肉のつき方を調べ、トップアスリートになるためにやるべきことを具体的なテーマとしました。 かなり本格的な調査で1年くらいかけて資料を作り、1年下の生徒の前で発表します。先生にはもちろん、聴衆にも成績をつけられます。こういう課題が、自分の興味・関心を元に考えて行動するという性質を身につける上で役立ったと感じます。
マンモス校ならではの活気ある文化祭や体育祭。修学旅行では日本と海外の違いに驚く
ーー少し話は変わりますが、文化祭や体育祭で桐蔭学園ならではのことはありますでしょうか。 桐蔭学園は1学年1,500人くらいいて、40クラスぐらいあるんです。そのほとんどが出し物をするので、学校全体だとすごい種類になるんです。だから色々見て回るのはとても楽しいと思います。 体育祭については、以前は日産スタジアムを借り切って行っていました。観客は生徒なのですが、桐蔭学園の小学生から高校生まで集まってやるので、ものすごい数になるんです。めちゃくちゃ大勢の観客に圧倒されましたね。 ーーとんでもない規模のイベントになっているのですね。何か他のイベントで記憶に残っていることはありますか。 高校2年生の修学旅行が特に記憶に残っています。行き先を沖縄、北海道、海外から選べて、僕達の学年は海外に行くことになりました。僕にとっての初めての海外旅行だったので何もかもが新鮮で。 ベトナムのバイクの交通量には度肝を抜かれましたし、カンボジアのアンコールワットにも行ったのですが、現地には観光客相手に積極的に商品を売ってくる方もいて、色んな場面で日本との違いを感じました。この修学旅行がきっかけで好奇心が刺激され、長い期間海外に住んでみたいなと思いました。 ーー海外といえば、桐蔭学園は留学プログラムが盛んなイメージがあります。 そうですね、僕が高校3年生の時に校長先生がグローバル教育に力を入れると言っていたので、その辺りから留学プログラムが増えている気がします。 僕の学年では、ニュージーランド、アメリカ、イギリスに留学に行った人がいました。僕もセブ島に短期留学に行く機会があったのですが、部活を優先して行きませんでした。今思えば行っとけばよかったなって思います。 ーー留学に行くために必要な条件はありますか。 詳しくはわからないですが、英検が一つの基準になっていたのは覚えています。
素晴らしい設備と先生を抱えたこの学校を使い倒してほしい
ーーどういう人が桐蔭学園に合っていると思いますか。 自分から主体的に動ける人が、より学校を活かせると思います。もちろん、僕のように、入学後に成長して自分で考えて動けるようになるというパターンもあると思います。 伝えたいことは、桐蔭学園は神奈川で有名なマンモス校なので、施設がいいし、良い先生も数多くいらっしゃるということです。そういう良い環境を自分でどう活かすかが大事です。 例えば、自分は高校3年生になって先生を頼って、少し乱暴な言葉で言えば大変活用させていただいて、塾に行かなくてよかったということがあります。自分から先生に声をかけて教えを乞えば丁寧に教えてくれます。 自分から先生と良い関係を作ろうとか、教えてもらおうという意志がなければ、もちろん教えを頂けるチャンスは少なくなりますよね。そういうことになると非常に勿体無いので、入学したら是非主体的に学校を使い倒してほしいと思います。 施設が良いことに関連して、部活に思い切り打ち込みたい人にも合っていると思います。人工芝のグラウンドや、しっかりしたトレーニングルームなど、練習効率の上がる設備が整っています。 ーー母校愛に溢れた素晴らしいインタビューになりましたが、入学する際の懸念点はありますか。 ほぼないですが、強いて上げるなら、これは僕が自転車通学をしていたからですが、学校が坂の上にあって、登校時に坂を登るのがきつかったということぐらいですね(笑) ーー体力がつくので良いことでもあるかもしれません。最後に、志望している小学生に一言お願いいたします。 良い先生と出会えるし、良い設備が整った素晴らしい学校です。入学して、環境を使い倒して、最高に充実した中高生活を送ってください!
その他細かい情報
・学食について 美味しかった。曜日ごとにメニューが異なる。木曜日に提供されるつけ麺がとても美味しいのに100食限定だったから、朝から食堂に行って食券を確保していた。中1から食堂を使える。僕が在学中の時は他の場所で弁当も売っていた。今は校内にコンビニ(デイリー山崎)がある。 ・プールについて 温水プールで、中1の時だけプールの授業があったと思う。 ・附属高校への進学について 成績が悪くて附属高校に進学できない人は聞いたことがない。中3で成績が悪かった人でも、追試験を課したりしてなんとか高校に上げてくれる印象。素行が悪くて上がれなかった人はいた。先生方も指導していたが改善されなかったため仕方がないと思う。 ・高校での留年について 少なくとも自分の学年では、成績が悪くて留年した人は見たことがない。学校公式以外の留学プログラムを使って留学して、1学年下に降りた人はいた。 ・いじめについて 中学では少し見られたが、高校になるとなくなった。素行不良者が退学になったことと、生徒が大人になったことの両方が理由だと思われる。 ・成人式について 学校が公式に主催する成人式はない。生徒が集まって自主的に同窓会をした。

インタビュアーあとがき

昔やんちゃだったことが信じられないくらい立派な好青年でした。良い先生に恵まれて目覚めれば、自分が本来持っているガッツでこんなにも成長できるんだと、多くの小中高生の希望になるだろうと思います。
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