神奈川県立平塚中等教育学校の卒業生に学校のリアルをインタビュー

単位制で勝ち取る自由。自然と街が調和する場所平塚で、中高生活を「自分らしく」過ごす。

インタビュー日:2024年3月1日

卒業生経歴

神奈川県立平塚中等教育学校 → 横浜国立大学理工学部1年(インタビュー時)
「藤井くんってやさしいね」。小学校の初恋の人に言われた言葉を、今でも覚えている。そんな甘い思い出も色あせて、29歳になった今の僕は、自分の親にすらやさしくできない親不孝者だ。もう一度、あの頃のように、やさしくなりたい。 すみません、バイト中でした。今回は神奈川県立平塚中等教育学校を卒業し、現在横浜国立大学理工学部に在籍しているAさんにインタビューしました。Aさんいわく「優しくて真面目な人が多かった」平塚中等には、どんな風土があったのでしょうか?
自然豊かな公立中高で、仲間と過ごす青い春
――まず、神奈川県立平塚中等教育学校を受験された動機を教えてください。 親からの勧めが一番大きかったですね。当時、将来教員になりたいと思っていて親に相談したところ、それなら大学までちゃんと行く必要があり、高校もそれなりのところに行かないといけない。そのうえで、中高一貫校に行けば高校受験はしなくてよい、と親に説明されて、神奈川県で2つしかない県立の中高一貫高校(もう一つは相模原中等)にしようと考えて選択しました。学校自体の歴史は浅く、もともと高校だったところの校舎をそのまま使って県立の中高一貫校として新しく変わってできた学校です。なので、校舎は少し古めでした。 ――併願した中学校はありますか? 第一志望の平塚中等だけ受験しました中等生はそういう人がほとんどだと思います。公立の学校なので、そんなに裕福な人が集まるわけではなく、また、入試の傾向が私立とは少し異なり、私立の学校と同時に対策するのが難しいというのもあって、平塚中等だけに絞って受験する人が多いですね。「高校も公立がいいと言う人が中学からいける」という認識で受験する人がほとんどだと思います。 ――やっぱり公立は人気なのでしょうか? 倍率でいうと僕の年で5倍とかでしたね。相模原中等のほうはレベルが高く、7倍とかだったと思います。とはいっても平塚中等は一学年の人数が160人と少なく、他の学校と比較するのは難しいと思いますが。 ――めちゃくちゃ倍率高いですね。選ばれし者って感じがします。学校は家から通える距離だったんですか? そうですね。家から一時間くらいで。そのくらいの通学時間が平均的だったと思います。最寄り駅の平塚駅まで電車で行って、そこから自転車で15分くらいかけて通学する人がほとんどでしたね。僕は別の路線の駅が最寄りで、そこから自転車で30~40分くらいかけて通っていました。 ――最寄駅から離れた場所にあるんですね、横国みたいな感じですね! 本当にそんな感じです。近くに学校がいくつかあって周りに学生が多く、そういう意味でも横国と似ているかもしれませんね。通っていた生徒も横国生と似たような雰囲気で、みんなまじめでいい人が多いと思いますよ。 ――横国はすてきな大学ですよね。僕はまじめじゃないですけど。 (失笑)  立地も横国と似ていて、自然豊かな場所にあります。平塚総合公園という公園が隣接していて、学校のすぐ隣に公園のメタセコイヤの木が立っていて、その木が自然のシンボルみたいになっているイメージがあります。とはいっても町から孤立しているわけではなく、自転車で行ける距離にららぽーとがあって、よく放課後に行っていました。 ――立地的に、中高通して万遍なく、めちゃくちゃ学校生活が充実しそうですよね。 本当に充実しましたね。その立地に六年間一緒にいるので、もう信じられないくらい他の学生と仲良くなれます。先輩に聞くと、やはり大学に入ってからも高校同期とは仲が良く、大学を卒業するタイミングでも高校同期で集まって海外旅行に行ったりするくらいには仲がいいです。 ――いいですね!「放課後サイゼ行こうぜ!」みたいな、ザ・青春って感じですね! 実際にサイゼリヤは近くにあったのでそうなっていましたね(笑)。ただ、中学までは寄り道は禁止なので放課後はそのまま帰る人は多かったです。それでもここだけの話、平塚駅から離れてしまえばばれることはないので、こっそりと集まっていた人もいたかもしれないですね。
備えあればテストも憂いなし。学校からの手厚いサポートが中高一貫の学習進度を支える
――勉強はできましたか? 最初に順位が出る5月末のテストの段階で160人中100番くらいで、下から数える方が早い順位だったと思います。中学3年までずっとそのくらいの成績でした。 ――中3の時に何かきっかけがあったんですか? そうですね、平塚中等のカリキュラムが1・2年、3・4年、5・6年のそれぞれ2年毎に大きく分かれているのですが、中3になったタイミングでカリキュラムが切り変わり、少人数での授業が始まったり、高校の内容が入ってきたりして「あ、何か変わったな」と感じて危機感を持ったり、同じくらいのタイミングで高校の模試を解かされた時に、自分の学校に近い偏差値レベルの高校の模試を受けたはずなのに、軒並み悪い判定を取ってしまい、結果を見て「あ、これはやばいかも」と思うようになったりして、そこからちゃんとテスト前には力を入れて勉強するようになりました。 ――なるほどです。テスト前に勉強を頑張るようになった勉強法の変化で成績が上がった感じですかね。 そうですね、どちらかというと勉強法が確立されたというより、危機感を持って自分で勉強するようになった結果、勉強のやり方が分かってきて、それがだんだん定着してきたというのが大きかったと思います。 ――すごいですね。僕でいうと3浪目くらいだと思います。勉強のやり方が分かってきたのは。 すみません、どういう反応すればいいか分からないですw ――(笑)。授業の進度は早かったですか? 数学の進度が特に早かったですね。数学は中2からクラスをいくつかに分けて授業する少人数での授業が始まり、中3からは2クラスを三分割して、アドバンスが1クラス、スタンダードが2クラスでレベル別に分かれて授業を受けていました。スタンダードといっても普通より進度は早いのですが。4年からレベルが3つに分かれていました。具体的な進度でいうと、中2の段階で中学数学の範囲が全部終わって、中3ないし中2の途中から高校数学に入っていました。「体系数学」という中高一貫用の教科書を使っていたので、それに沿った進度になっていたと思います。 ――すごいですね。他の科目はどんな感じなのでしょう? 数学以外の科目も進度は速かったと思います。理科もA,B二つの組に分かれて授業を受け、中3の秋くらいには中学の範囲はすべて終わっていました。社会は授業の進度が独特で、歴史の授業は中高の範囲をごちゃまぜにして時系列順に最初から終わらせる、という風にやっていました。 ――学校特有の進め方になっているんですね。僕だったら進度が早すぎて確実に落ちこぼれそうなので少し心配です。。。 進度は速かったですが、その分成績が悪い人に向けたフォローもあったと思います。中学の時は特にそうで、週に二回ほど放課後に補習が開講されていました。先生が自主的に開いていたもので、授業終わりに「このあと補講やるから参加したい人はきてね」というアナウンスがあり、自由参加で各自やっていたと思います。
少数精鋭?少人数で毎日学ぶ国数英
――サポートが手厚いですね。とはいえ普通の高校出身の僕からすると高校2年までに大学受験のすべての範囲を終わらせるというのはとても想像がつかないのですが、やはり授業が多かったりしたんじゃないですか? それでいうと、前期課程(1~3年時)では国数英の授業がほとんど毎日あったと思いますね。数学が週6、英語も週5くらいであって、英語にはECと呼ばれる英会話のような授業がありました。英会話というか、英語プレゼンテーションみたいなイメージですかね。それが週1固定であって、それ以外の4時間で通常の課程をやっていました。そのような感じで、特に英語と数学の授業が多かった印象があります。 ――なるほどです。ECの授業というのは、外国の方が担当されるんですか? 外国人の先生と日本人の先生一人ずつが来て授業していました。外国の先生が全部英語で話し、それを日本人の先生がサポートするといった形でした。英会話というか、スピーキングに近い授業内容で、自分で書いた英語の原稿をみんなの前で読み上げたりしていました。ECの授業自体は中3で終わるのですが、中2からは1クラスを半分に分けた少人数での授業になっていました。発音の勉強ができたと思います。 ――すごいですね。数学も理科もそうだったと思うのですが、全体的にクラスを分割して少人数で行う授業が多いように思います。けっこう教師の人員を割いてますよね。 そうですね。普段自分の学年にいない、他の学年を担当している先生が来たりしていました。中1から高3までのいろんな学年の先生がごちゃまぜに授業に来るのが当たり前になっていましたね。ついさっきまで高3の授業をしていた先生が中1の授業に来ることもあったので、先生にとっては難しい面もあったようですね。
単位制で一足先に手に入れる自由。ご利用は計画的に!
――授業進度ひとつとっても独特なものになっていますね。ほかにも、高校では「単位制」になっていると聞いていて、これも独特だなと思ったのですが、単位制というのは大学の授業のような感じで、決められたものの中から自由に授業を選んで受講する感じですか? そうですね、4年の時から単位制になりますが、最初のほうはだいたい必修で全コマ埋まるようになっていました。大学に近い感覚で自由に授業を選べる年もあるのですが、自由といっても、だいたいの人は同じような時間割になっていましたね。 「この授業は塾に任せるからいらない」、「この分野はすでに自習しているから取らない」という風に自分で判断して空きコマを作り、他の人より早く帰っている人もいました。とはいってもやはり授業は手厚いので、授業をとっても全然いいのかなと思います。 理科や社会の授業は共通テストだけしか使わない人もいるので、高2の時に気を付けて選ぶように先生から実際にアドバイスされていました。カリキュラムが高2で全部一通り終わるのもあって、高3では自由に使える時間が格段に増えましたね。 ――すごいですね。一日に最低何コマ受けなさいという決まりはあるんですか? 選択科目を一日に最低何個取らないといけないという決まりはなかったと思います。 ――え!そしたらもしかして、全休も作れるんですか!!!! 全休は無理ですね(笑)高3でもほとんど毎日1,2限に必修が入っていたと思います。ですが極端な話、それ以外授業を一切受けなくても卒業できるようになっているので、必修以外は授業を受けずに昼からの時間を塾で過ごす人もいました。とはいえ、ほとんどの人は必修以外の授業も取っていましたね。 ――毎日1限があるんですね…、単位制で授業を自由に選べるシステムは、大学受験をするうえでプラスに働いたと思いますか? 100パーセントプラスに働いたと思います。自分自身、自習で伸びたタイプなので、自由な時間があればあるほどありがたかったですね。月曜、火曜は昼過ぎには授業が終わるような時間割だったのでその後はいつも勉強していましたし、空きコマを使って自主的に過去問演習をしている人もいましたね。 ――本当に受験がある大学生みたいな生活が想像できますね。僕も見習って、来年からそれくらい勉強に打ち込みたいと思います。全体の進学実績でいうとどのくらいの結果になるのでしょうか? 学力でいうと、だいたい学年の半分くらいはMARCH合格していたと思います。進学となると、学年の4分の1くらいは国公立、10人前後が早慶、1人東大がいるかいないかくらいでした。私の代は京大に進んだ人が多く、4,5人いたと思います。中学の時に三者面談で「大学で国公立に行くなら3~40位に入っておけば安定する」と先生に言われていてそれを目安にしていたのですが、結果的に本当にそんな感じになっていましたね。 ――すごいですね。 大学受験に関しては先生方のサポートが本当に手厚く、塾に行かなくても良いくらいのサポートがあったと思います。塾に行っていた人はだいたい学年の6割くらいで、僕もほとんど塾には行っていませんでした。 ――そんなに学校側のサポートがあったんですね。 スケジュール管理とか、普通塾でやってもらうようなこともやってくださる先生もいました。勉強計画の立て方や志望校の決め方も、こちら側から質問しに行けば全部こたえてくれていましたね。担任の先生だけではなく、学年の他の先生でも、本当に誰でも教えてくれました。 ――チューターみたいですね!先生との距離も近かったのでしょうか? 近かったと思います。たまに部活をしにくる先生もいました。指導というわけではなく、ただ運動しに来るみたいな(笑)。同じ学校で6年間過ごすのもあって、本当に先生と気軽に交流できる環境がありましたね。どの学年にも1人は6年間ずっと同じ学年を担当する先生がいて、その先生は特に生徒との仲が良く、その学年のことならなんでも知っているという状況ができていました。面接や小論文もどの先生も言えば見てくれました。そんな感じで、とても手厚かったと思います。
生徒に寄り添う部活動。パソコンと神奈川愛は大人の事情です。
――入学から受験まで、勉強面での話を一通り聞いたところで、ここからは学校生活についてお話を伺っていきたいと思います。部活は中高卓球部でしたよね? そうですね、平塚中等は部活動の種類がそんなに多くなく、野球部とバレー部はありませんでした。 ――野球部がないのは珍しいですね。活動頻度はどれくらいでしたか? 中学までが週3回で、高校から週4回の活動になっていました。さすがに少ないので、顧問によっては練習とは別の「練習試合」という建前で練習を入れているところもありました。朝練を別カウントにして、月水金を朝練、火木土を練習にして実質週6で活動していたところもありました。 ――頭いいですね(笑) そんなに部活動が盛んではない分、学校行事は盛んだったと思います。文化祭や体育祭など、学校全体で盛り上がるようになっていました。6年間同じ行事を一緒にやっていて、団結力があったと思います。 ――なるほどです。部活によっては活躍しているところもあったんですか? 文化系では化学部のレゴロボット班が大会で全国に行っていたのは聞いたことがあります。吹奏楽も、前身の高校時代から良い成績を残すようなレベルだったと思います。それでもやはり部活の種類や活動頻度は他の高校よりも少なかったと、大学で他の高校の人の話を聞いてよく思いますね。 ――活動自体は緩かったのでしょうか? 部活によりますが、中には挨拶をちゃんとさせるところもありましたし、練習に来ない生徒に対しては「どうしたの?」みたいに声をかけていた印象があります。とはいっても詰めるというよりは、気にかけるというか、寄り添う感じでした。厳しくはないけど、相談に乗ってくれたり、ちゃんと面倒は見てくれていたと思います。本当に先生からのサポートはいろいろな面で手厚いものがあったと思います。 ――本当に学校側の面倒見の良さがうかがえますね。校則は厳しかったですか? 周りと比べて厳しかったのかは分からないですが、身だしなみはちゃんとしなさいとは言われていました。髪を染めるのは禁止で、ピアスも怒られたりしていましたね。全体的に中学ではよく注意される感じですが、高校からはそこまで言われなくなっていました。自転車通学が多いので、自転車のマナーについて日頃から厳しく指導されていたイメージがあります。中学は自転車禁止だったので、バスマナーのことを言われていました。 ――中学は自転車禁止だったんですね。スマホは持ち込み可能でしたか? 持ち込みは大丈夫でしたが、学校で使うのは禁止になっていました。緊急連絡用ということで許可されていて、高校になると先生にばれないところで使っている人もいましたが、見つかったら没収されていました。最近だとスマホOKというところも増えていると思うんですけど、うちはダメでしたね。 ――公立だから厳しいというのもあるんでしょうね。 最近だと一人一台パソコンを配られるようになっているので、そこでいろいろできると思いますけどね(笑) ――時代ですね… パソコンの使用に関しては神奈川県が推奨しているらしいです。こんな感じで、公立の学校なので県の方針に大きく左右される特徴があると思います。私の代は高校3年間ずっとコロナの影響で、県の指導で部活が一日3時間と決まっており、それに素直に従っていましたね。そういう県の方針に逆らい難いという事情があったのは生徒側からも見て取れる部分はありましたが、全体的にはそんなに厳しくはなかったと思います。 ――県の方針に影響を受けるというのは独特でおもしろいですね。県の方針に沿った授業などはあったのでしょうか? ありましたね。県の推奨する「神奈川次世代教養」というカリキュラムがあるみたいで、中1でIT活用について、中2で地球環境について、中3で伝聞歴という、戦争とか、歴史系のものについて重点的に扱う総合のような授業がありました。他にもその一環で、「神奈川探求」という授業が別でありました。神奈川探求は授業というよりも行事といった感じで、中1で一次産業、中2で二次産業、中3で三次産業を勉強するという名義で、いろんな地元の職場に訪問して話を聞く校外学習がありました。 ――すごい、僕も単純に気になるので受けたいです!そのような独特の授業を通して、神奈川愛は深まりましたか? 神奈川愛ですか?…深まったと思います。 ――いいですね(笑) そういう課外活動のような授業が多い影響で、夏休みの課題が増えたり、持っていく教科書の数が増えてカバンが重くなったりしたというのはあると思います。教科書が多いというのは、中高一貫校ならどこもそうなのかもしれませんが(笑)。
全校で盛り上がる学校行事。仲間と共に過ごす時間は、一生の宝物に。
――学校行事は盛り上がるということでしたが、体育祭など、やはり学校行事の規模は大きかったのでしょうか? 県立の中高一貫というのもあり、外部の小学生が親御さんと一緒によく来ていました。卒業生もよく遊びに来ていました。9月に期末テストが終わったタイミングから、10月の文化祭、11月の体育祭と、立て続けに行事があったので、その間はけっこう学校がお祭りムードになっていましたね。 ――学校で盛り上がるのはすごいですよね。修学旅行はどこに行きましたか? 修学旅行は中3の12月に京都、広島、奈良あたりを回りました。高2では例年台湾に行くのですが、僕の代はコロナの影響で九州を回りました。中高ともに3泊4日でした。修学旅行に行くためのお金を前々から積み立てておくのですが、僕の代では急遽台湾に行けなくなり国内になったので、その分かなり豪華な内容になって、高級ホテルに行ったりしていました(笑) ――すごいですね(笑) 他にもコロナ以前には高校1年になったタイミングでイギリスの語学研修に行けるようになっていました。希望者から英検などの条件で選抜されて、30人近くが現地の学生と交流したりして帰ってくるという語学研修がありました。コロナ前後でシステムが変わってしまったのですが、以前はそのプログラムを学校側で売りにしていたように思います。 ――なるほどです。国際教養の売り出しはどの学校もありますよね。都会の学校はすごいなと本当に思います。 英語教育でいうと先ほど話したECの授業もありますし、他にも中学1年の時にサマーワークショップという夏休み中に外国人の先生と触れ合う機会が数日間希望制であったり、中学2年ではイングリッシュキャンプという2泊3日で外国人の先生と過ごすアクティビティのような催しがあったりしました。泊りのイベントは毎年あったと思います。 ――泊りのイベントが毎年あるんですか? 1年の時はオリエンテーション合宿があって、2年でイングリッシュキャンプ、3年で修学旅行、4年で勉強合宿、5年で修学旅行ですね。泊りの機会が多くて友達との仲も深まりますし、楽しかったです。
多様な交流が優しさを生む。平塚中等で、自分らしく過ごす。
――どういう人がこの学校に合うと思いますか? 何もない人でも、通えば自分の強みが見つかるような場所だと思うので、どんな人が行っても勉強もできるし楽しめると思います。それくらい認め合ってくれる仲間が多い印象があります。オリエンテーション合宿から始まり、体育祭、文化祭などの行事も盛んだったり、他のクラスと合同で行う少人数の授業があったりと、他学年、他クラスとの交流が多く発生する環境なので、いろんな人との出会いがあり、友達の選択肢も多く、そこで過ごすうちにみんな優しくなるんだと思います。何をやっても周りと比べて優しい人が多いので、自分をうまく出せる環境があると思います。先生のフォローも手厚くて、本当にお勧めできますね。 ――交友関係が1クラスに限定されないのは大きいですね。この学校に通っていてよかったと思いますか? めちゃくちゃよかったと思います。一生の友達ができたというのもありますし、人数が少ないことの良さ、絆の深さや先生との交流もあったので、よかったと思いますね。
その他
・プールについて 学校内に屋外プールがある。 ・留年について 補講などが開かれサポートが厚いこともあり、基本的に留年する人はいなかった。 ・いじめについて ほとんどない。先生とつながる機会が多いので、本人が相談できたり、周りが報告したりして事前に止まるようになっている。 ・不登校生へのフォロー体制について 学校に来られない人が出てきても、毎日電話したり、補講したり、担任の先生が面倒を見てサポートしていた。

インタビュアーあとがき

今回初めて公立の中高一貫校の話を聞いたが、学校のフォロー体制がかなり整っている印象を受けた。勉強面のサポートも手厚く、塾に行かない人も珍しくはない環境がある公立中高一貫校は、あまりにもコスパが良すぎるように思う。「人生のコスパが最悪の僕でも、ここに通っていれば…」と一瞬だけ思ってる自分に気付きそうになった。勉強に集中したい。
現在、母校の中高について話を聞かせてくれる大学生を募集中です。詳しくはこちら