横浜雙葉中学校の卒業生に学校のリアルをインタビュー
思いやりの心や自分を律する力を丁寧に伸ばしてくれる。勉強にも部活にも打ち込める日々で、卒業後に一層その有り難さがわかる
聞き手:
インタビュー日:2023年1月6日
卒業生経歴
横浜雙葉小学校 → 横浜雙葉中学校 → 横浜雙葉高等学校 → 明治大学法学部1年(インタビュー時)
今回は、小学校受験を経て、高校まで、横浜雙葉に所属していたご卒業生にお話を伺いました。
伝統ある女子校での勉学や生活の様子を思い出し、楽しげにお話ししてくれました。校則への考え方や、器楽部での思い出を通して、非常に良い教育を受けられたのだと伝わってきました。それでは、お楽しみください。
生徒同士は調和力が高く、先生はありのままを受け入れてくれる
ーー小学校から横浜雙葉だったということですが、中学受験で入ってきた生徒とは仲良くできましたか。
はい、中学1年の初期に、総合の授業の時間で、小学校からの内部進学組と中学受験組で仲良くなりましょうという企画を学校が実施してくれて、すぐに仲良くなれました。
元々、私の周りの内部進学組は、中学受験で入ってくる生徒に対して全く抵抗感はありませんでした。一方で、中学受験で入ってくる生徒の方は、内部進学組と仲良くなれるかなという不安を持っていたみたいです。少し仲良くなってから、「仲良くなれるか不安だったよ〜」という本音を言ってくれました。
それに、中学受験組には、内部進学組と全然雰囲気が違うなっていう生徒はいなかったんです。それもすぐに仲良くなれた理由の一つだと思います。
ーー小学校の学校生活はどういった雰囲気でしたか。
非常に落ち着いていたと思います。突飛な行動をする子、先生の注意の対象となる子が明らかに少ないと感じます。
校則が厳しいというのもありましたし、それぞれの生徒に良識が備わっていたということもあったと思います。どういうことをすると先生に注意を受けるか理解し、集団生活にふさわしい行動をしていたと思います。
周りを観察して、周りと行動を合わせられる子が多い印象です。
ーー小学生なのに非常にしっかりしていますね。中学以降、交友関係が特定のグループに固まってしまうことはありませんでしたか。
ありませんでした。グループはありつつも、メンバーは流動的でした。
例えば、本を読むのが好きなグループ、校庭で活発に遊ぶグループ、各部活ごとのグループなど。
でも各グループのメンバーは自由に行き来できていました。いつもおしゃべりするグループと話していたと思えば、読書するグループの方に顔を出したり、同じ部活のグループに顔を出したりという感じです。
だから、グループ同士でいがみ合うということはなく、心地よく過ごせていました。
ーー良い友人関係を作られていたんですね。学校のホームページには、ありのままの自分を愛してくれる校風だとも書いていました。そういう雰囲気は感じましたか。
そうですね、特に先生方には、ありのままの姿の生徒と交流しようという気持ちが感じられました。どの先生も親身になって話を聞いてくれます。愚痴のような話でもちゃんと聞いてくれて、心が軽くなったこともあります。
私が中学に入学した頃は、校則を破った時に先生に注意されたりして、先生と仲良くなれない時もありました。でも、入学後しばらくして校則を破らなくなると、注意される回数が減る分、どんどん先生と仲良くなって何でも話せる仲になっていきました。
厳しい校則も、振り返れば大事な生徒を守ってくれていた
ーー先ほど校則が厳しかったとおっしゃいましたが、具体的にはどのようなものでしたか。
髪は肩についたら括るとか、スカートの丈は膝下とか、爪が長いと切りなさいと言われたり。モコモコしすぎているマフラーはダメとか、マフラーの締め方についても首元でキュッと締まっていなければダメなど。他には、身につけるものに対する色の指定もありました。
ーー細かい決まりがあったようですね。学校生活するにあたって、息苦しさのようなものは感じませんでしたか。
最初は戸惑いましたが、段々と慣れていって、高校生にもなれば全然気にならなくなりました。
ーー逆に、そういう校則だからこそ良かった面というのはありますか。
生徒が色々な誘惑に気を取られないようにしてくれていたのかなとは思います。
例えば、学校が横浜中華街に近いので、帰り道に中華街で買い食いしたくなりますが、校則として買い食い・寄り道は禁止だったので、真っ直ぐ家に帰らざるをえないんです。でもそれは、路上でトラブルに巻き込まれる可能性から守ってくれていたと思いますし、家でしっかり勉強する時間も取りやすくなりました。
他には、身なりについても、行動についても、校則があるからこそ、社会常識が身につきやすいという面もあると思います。私の周りの横浜雙葉の友達には、突飛な行動をする子はおらず、安心して過ごせました。
ーー確かに、生徒を守ったり、適切な言動を身につけるという一面はありますね。
勉強面でも学校がしっかり導いてくれるが、大学受験のため自分で補強した科目もある
ーーそれでは勉強面について聞いていきたいと思います。課題など、学校から課される勉強量は多かったと思いますか。
個人的には多かったと思います。私は勉強が好きではなかったので大変でした。
2~3時間くらいかかるような内容の課題を日々出されて、課題に追われていました。私は授業中に内職をして、課題を出来るだけ学校で済ませ、家では1時間も勉強しなくて良いようにすることもありました。
ーーご自身の成績の方はどうでしたか。
最初はそれほどでもなかったのですが、学校からの課題にきちんと取り組んだり、テスト前の勉強を計画的に進めるようになってからは、段々と上がっていきました。
ーー塾には通っていましたか。
通っていました。中1か中2くらいから、大手ではない英語の個別指導塾に通っていました。
学校が英語教育に力を入れていて、少し特殊な教科書を使っていたのですが、それが中々難しくて、学校の授業についていけるように計画立てて学習を進めてくれる塾を探して、通いました。英語はこの塾のおかげで成績が上がったと思います。
ーー基本的には学校の授業と課題で学習を進め、英語は塾に通っていたということですね。大学受験のためにはどのような勉強をしましたか。
高校2年生の頃から、学校の勉強をしながら、物足りない科目は自分で参考書に取り組んで、知識や演習を補いながら進めました。英語は塾に従って勉強していました。
塾についてですが、高校1年生の終わり頃に大手予備校の冬季講習を受けて質が良かったので、そちらの予備校に転塾しました。高校2年生頃になると、その予備校の講師の方々がそろそろ大学受験の準備をするんだよとおっしゃるので、段々自分の中でも大学受験モードに切り替わっていきました。
ーー先ほど学校の課題が多いとお聞きしましたが、学校の課題をきちんとやっていれば大学受験で良い結果を得られると思いますか。
科目によってはそうだと思います。課題が多い分、しっかりやっていれば高い学力はつきますが、学校の授業時間には限りがあるので、どうしても手薄になる科目はあります。そういう科目は自分で参考書を買って取り組むなり、塾で鍛えるなりする必要があると思います。
例えば、私は入試で難しい漢文が出題される大学・学部を志望していたのですが、学校では漢文の授業数は少なめだったので、自分で買ってきた参考書に取り組んで補完していました。
ーー個人個人に最適化するには、やはり多少の補完は必要になってきますね。少し話は変わって宗教教育についてお聞きします。宗教の授業はどのような内容でしたか。
聖書の登場人物について、どういう考えでどんな行動をしたのかなど、時には映画を見たりしながら学びました。聖書の場面ごとに、自分ならその場面でどういう行動をとるかを話し合ったりもしました。
道徳教育の一環のように感じていて、明確に何かに役立ったということはないですが、無意識レベルでの心の成長はあったかもしれません。
ーー他には、奉仕活動もあるという情報を学校ホームページでみましたが、どのようなものでしたか。
中1・中2で各1回、午後から老人ホームに訪問して仕事のお手伝いをするというものです。私たちが中学生であることを、老人ホーム側がご配慮くださっているようで、辛い業務の担当にはなりません。私はベッドメイキングなどを担当しました。
自分の専攻が福祉関連ではない限り、ああいう現場を見ることは中々ないので、貴重な機会だったと思います。お別れの時に悲しがってくれたおばあちゃんがいて、役に立てたと思えて嬉しかったです。人のために自分が役立つことの喜びを垣間見れたと思います。
ーー奉仕活動を通して、人として大切な心を学んだのですね。
器楽部で大忙しの文化祭。体育祭では飲食しながらガチ勢への応援で盛り上がる
ーーそれでは部活についてお聞きします。何か部活動はされていましたか。
中1から器楽部に所属していました。オーケストラのような部活で、吹奏楽部とは違って、弦楽器も加わります。
ーー器楽部の活動内容を教えてください。
週2~3回練習があって、大会に出たりすることはありませんでしたが、校内で演奏会があったので、そこに向けて仕上げていきました。
特に文化祭が腕の見せ所で、文化祭には自分の家族や親戚と卒業生しか入れませんが、張り切って練習していました。楽器の演奏も楽しかったし、部員との絆が強くなっていくのも嬉しいことでした。
ーー文化祭ではやはり器楽部中心の活動でしたか。
そうですね、ほぼ器楽部の活動にかかりっぱなしでした。でもそれが本当に充実していて楽しくて。
演奏の準備をし、演奏をして、今度はまた別の場所に移動して演奏の準備をする、というようにとても忙しかったです。
また、高校2年生は文化祭での活動を最後に器楽部を引退するので、引退する先輩に対して、下級生みんなで作ったアルバムや色紙を渡すんです。先輩と写真を撮って、ありがとうございましたって伝えました。それがとても感動的で。
ーー文化祭では器楽部の一員として充実の時間を過ごしていたようですね。それでは体育祭はどのようなものでしたか。
学校全体で運動をする行事として、運動会と球技大会というものがあるのですが、特に球技大会が楽しかったです。みんな真剣になります。種目は色々あって、バレー、バスケ、ソフトボール、卓球などです。中学の部と高校の部に分かれていて、例えば中学の部では、中1から中3の全クラスが、クラス対抗で戦います。
それに観戦も楽しくて。私は主に観戦する側で楽しんでいました。アイスや缶ジュースが販売されているので、それを買って飲み食いしながら観戦できて、最高でした。
ーー飲み食いしながらスポーツ観戦するのは楽しいですよね。友達が出ている競技なら尚更楽しめそうです。
卒業後に驚くことは沢山あるが、安心して勉強や部活に打ち込める良い環境だった
ーー小・中・高を女子校で育ったということで、大学で男子と接するときに違和感などありますか。
法学部では男子が多いからびっくりしました。最初は、男の子は何を考えているのかわからないと感じて、男の子と何を話せば良いかわからないという状態でした。でもそれも段々と慣れてきてはいます。
ーー高校卒業後に、中高との環境の違いで驚くことは他にありましたか。
社会の色々な場面で、一般常識とは異なる行動をする人が、自分が想像していたよりも多くいることを知って驚きました。
中学高校では校則がしっかりしていたこともあり、突飛な行動を目撃する場面は本当に限られていました。だから、中高時代はちょっとした常識外の行動でも気になってしまうことがありました。
でも大学に入ってから、授業中に寝ている人も沢山いれば、少しイタズラじみた行動をする人もいるので、世の中には色々な人がいるんだとわかりました。だから、中学・高校では本当に整った環境で過ごせていたのだなと、改めて感じています。
ーーなるほど、中学・高校が非常に整った教育環境だったからこそ感じるカルチャーショックですね。そういうことも含めて、横浜雙葉に入学してよかったと思いますか。
そうですね。今だからこそ、中学・高校の校則や先生方が、生徒を色々なものから守ってくれていたと感じます。安心して勉強や部活に打ち込める環境だったと思います。良い学校ですよ。
ーーそれでは最後の質問です。どういう子が横浜雙葉中学に合うと思いますか。
良い意味で、周りに目がいく子は合うと思います。配慮するという意味だけでなく、周りから影響を受けて自分の行動が変わるという意味でも、です。周りが良い子ばかりなので、そこから良い影響を受けて、お互いに精神的に成長していけると思います。
その他細かい情報
・食堂について
食堂はない。朝に購買部でお弁当を頼めるが、頼める時間は決まっているので逃してしまうと買えない。購買部のお弁当は美味しく、たまに食べていた。
部活後にお腹が減るので、放課後も購買部でおにぎりを販売してはどうかという案が生徒会から出されたが、残念ながら導入には至らなかった。
・プールについて
校舎内にプールはなく、中学以降はプールの授業もない(小学校では近くのプール教室のプールを貸し切ってプールの授業をする)
・いじめについて
私が知る限りなかった
・不登校について
同学年にごく少数いた。先生がかなりの時間を割いてケアしていた。
・中高時代の友達との関係について
今でも長期休暇には会うくらい仲が良い。
・学校主催の旅行について
中1・中2では校外学習という名の旅行がある。一緒に行動するメンバー(班)は先生によって決められるので、自分が余ってしまうかもしれないという心配はない反面、好きな子と一緒に行動できないというもどかしさがあった。
中3の修学旅行では、班のメンバーを自分たちで決められたので、仲の良い友達と班を組めて、楽しさ倍増だった。修学旅行の行き先は京都・奈良で、京都ではタクシーを借り切って、班のメンバーと自由に観光地を回った。
高校2年生の修学旅行はコロナで行けなかったが、高校3年生では卒業旅行というものがあり、ディズニーに行った。ディズニーに到着すると自由行動になり、仲の良い友達と自由に園内を回ってとても楽しかった。
・補習について
成績が悪い人への補習の他に、発展的内容を扱う補習がある。発展的内容ではあるが、申し込めば誰でも受講可能だった。私は参加しなかったので詳細はわからない。
・小学校からの内部進学組と、中学受験組との学力差について
中学受験組は受験勉強のおかげで平均的に学力が高く、当初は内部進学組の学年平均より学力がやや上の層が多いと感じた。しかし入学後しばらくすると、内部進学組も中学受験組も同化していき、差は感じなくなった。
インタビュアーあとがき
本卒業生は、小学生時代から、実に12年、女子校生活をしていて、共学しか体験したことのない私には、その学校生活を非常に興味深く聞くことができました。団体の中で楽器を演奏したりする体験は私にもあったので、熱い青春時代を贈ったのだろうと自分と重ね合わせてお話を聞いていました。大学では、中高とはガラリと環境が変わったようですが、持ち前の適応力でこれからも大学生活を満喫してほしいと思います。
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