さいたま市立浦和中学校の卒業生に学校のリアルをインタビュー
学校方針の文武両道・自由闊達・自主自立を本気で進める、だけじゃない。友人が最高、行事も最高、つまり毎日が最高
聞き手:
インタビュー日:2022年12月20日
卒業生経歴
さいたま市立浦和中学校 → さいたま市立浦和高等学校 → 明治大学法学部2年(インタビュー時)
稀に見る母校愛に溢れたインタビューになりました。しかし、学校の様子を聞けばそれも納得です。勉強も部活も充実していて、友人たちは皆良い子で、不自由な校則は一切ないのに荒れた生徒はいないという。そんなパラダイスのような環境が、存在するんです。そんなさいたま市立浦和中学・高等学校のリアルな学校ライフをご一読ください。
こんなに楽しい文武両道があるのか(勉強編)
ーーなぜさいたま市立浦和中学校に入学しましたか。
受かった学校の中で、一番家から近かったのと、埼玉県の学校の中で一番楽しい学校だという評判を聞いていたからです。生徒は明るくて活発な子が多いという評判に惹かれました。他には開智、栄東、早稲田、立教新座を受けて、開智と栄東に受かりましたが、家からの近さと楽しさという観点から、自分の周りの評判をもとに、さいたま市立浦和を選びました。
ーーでは入学後に、入学前に持っていたイメージとのギャップを感じたことはありましたか。
ありませんでした。実際とても楽しい学校で、友達も面白くて良い人ばかりでした。中学は1学年2クラスのみで、学年全体でも生徒は80人しかいないから、お互いの関わりが密になってみんな仲良しでした。いじめも聞いたことがありません。
ーーインタビュー開始早々楽しそうな雰囲気が伝わってきます。学校のパンフレットには、教育方針として文武両道と書かれていましたが、実際はどうでしたでしょうか。
実際に文武両道だったと思います。まず勉強についてですが、普通の公立中学よりも進度が早く、難易度も高い内容を扱っていたと思います。
たとえば数学については先取り学習をしていて、中2の時に、確率の分野では高校の先生が授業に来て高校の内容を少し教えてくれたり、中3から高校数学をやり始めたりしていました。
英語はNEW TREASUREという、私立中高一貫校でも使われている難易度の高い教科書を使っていました。
ーー大学進学に力を入れいている私立中高一貫校に負けず劣らずの内容ですね。成績が悪い生徒へのフォローは何かありましたか。
無限再テストがありました。定期テストで基準点未満だった者は、再テストになり、基準点以上の点を取るまで何回も再テストが続きます。その基準点がかなり高くて、例えば英語なら90点、数学なら70点といった具合です。だから、一発目の再テストは大体の生徒が受けることになります。
再テストに引っかかっている間は部活にも出れないルールです。それに、確か2回目までは放課後に残って再テストをするんですが、3回目以降は朝早く登校してやることになるので、必死に勉強して回避しようとします。僕は英語の過去分詞の範囲が苦手だったので、その時は3〜4回再テストになってしまった記憶があります。
あとは補習もありましたが、これはテストの順位が下から一桁といった、本当に成績の悪い人が呼び出されるもので、僕は受けたことがないので、詳しくはわかりません。
ーー塾には通っていましたか。
高校1年までは塾なしで、高校2年生のはじめ頃から、大学受験を意識して河合塾のマナビスというところに通っていました。ただ、僕は映像授業が苦手で、部活終わりということもありよく寝てしまっていたので、上手く活用できていなかったです。
ーーそれでは本格的に大学受験勉強を始めたのはいつですか。
高校2年生の終わり頃ですね。そこからは違う塾に入り直しました。桜凛進学塾という地元のやや小規模な塾です。学校が終わったらその塾に行って、遅くまでずっと勉強していました。
ーー周りの人も塾には通っていましたか。
高校3年生の頃は、大体の生徒が通っていました。感覚値ですが、通塾率は8割くらいだったと思います。
ーー今振り返ってみて、大学受験のために通塾は必要だったと思いますか。
そうですね。もし高校3年生で塾に行っていなければ、個人的には厳しい戦いになったかなと思います。例えば、学校の授業では日本史や世界史の全範囲を終わるのが、高校3年の終わりの方の時期なので、そのペースだと、全範囲を周回して定着させたり、入試問題演習をしたりするための時間が十分取れなくなってしまいます。
ただ、学校のおかげで大学受験の勉強が進んだという面ももちろんあります。やはり学年全体の仲が良いので、勉強面でも友達から良い刺激をたくさんもらいました。
模試を受けたら仲の良い友達と集まって、結果を見せ合い、良い意味で競い合って、時にはお互いの勉強方法を教え合ったりもしました。友達と一緒に受験に取り組んでいたから伸びたと思います。彼らがいなければあまり勉強しなかったと思います。学校の親友で、同じ塾に通って切磋琢磨していた友達が、共通テストで全く同じ点数を取った時は何か運命めいたものを感じました。
ーーなるほど、学校の友達がいたからこそ伸びたのですね。学校では生徒の希望進路によってコースが分かれていましたか。
分かれていました。僕の時代は、中学からの内部進学組は高校3年からコースが分かれて、正式名称は忘れましたが、私立文系コース・国公立文系コース・国公立理系コースの3つのコースがありました。
ただ、今は変わっているかもしれませんが当時は、内部進学組は文系を選択しても物理・化学の授業があったり、数II・Bの授業があったりして、自分の大学受験には使わない科目の授業がちらほらありました。そういった科目の授業では、こっそり塾の勉強を進めていました。
(編集注:学校公式HPの情報によると、今は高校2年生から文系・理系・総合系というコースに分かれる模様)
ーーコース分けはあるものの、科目ごとに自分なりの使い分けが必要といったところでしょうか。学校の先生の質はどうでしたか。
教育者として優秀な先生が多いと感じました。人柄もそうですし、授業のクオリティもそうです。公立中学校の先生は、その地域の公立中学を順番に担当するものですが、さいたま市立浦和に赴任してくる先生は、不思議なくらいどの先生も優秀でした。
ーーさいたま市立浦和中学・高校ならではの授業などあれば教えてください。
高校では、月曜日は8時間目の授業があって、総合研究やホームルームに当てられていました。でもそんなに堅苦しい時間ではなく、パソコンの使い方の授業だったり、クラスのみんなと交流を深めるためにドッジボール大会をしたりして楽しかったです。
ITを積極的に活用しようという意識も感じられました。週3日程度、朝の20分間にパソコンを使って数学・英語・国語などの勉強をする時間がありました。教材もデジタル教材を使って、ITに慣れさせてくれている感じがありました。
あとは、中学・高校ともに夏期講習があって、夏休み中に様々な講座が開講されます。科目もたくさんありますし、内容も基礎的な内容の復習から、ハイレベルな内容にじっくり取り組むものまであります。その中から好きな講座を選んで参加できます。大学の履修登録に近い方式です。中学も夏期講習はありますが、高校の夏期講習は一層充実していて、高校3年生では約40種類もの講習が開かれます。
僕は午前中の講座をよくとっていました。講座をとると、その時間は部活が免除になって、部活の朝ランニングをやらなくてよくなるので・・・(笑)。もちろん、今自分に必要な講座を計画的に選んできちんと取り組めば学力は伸びると思います。きちんとやっている友達も大勢いました。
こんな楽しい文武両道があるのか(部活編)
ーー充実した勉強面のお話ありがとうございました。それでは文武両道の武の方に移りたいと思います。部活動は忙しかったでしょうか。
はい。僕は中学はサッカー部だったんですが、基本的には週7日練習(内1日は自主練習)でした。ただ、さすがに全く休みなしではなく、月に2日は休みがあります。部活動が忙しくて、放課後遊んだ記憶はあまりありません。
ちなみに、原則全員がどこかの部に所属する必要がありますが、他の部はここまでストイックではなく、たとえばテニス部は週4日練習だったと思います。部活によって練習日数は変わります。
ーー週7日練習と聞くと相当しんどそうに思えるのですが、そのあたりの感覚はどうでしょうか。
でも全然嫌ではなく、サッカー部の友達もいい人ばかりで一緒に練習するのが楽しかったです。基本的には家と学校の往復の日々になりますが、たまの休みには友達と映画館に行ったりしていました。それに、今振り返れば充実してたなぁと思います。
あと、サッカー部の顧問の先生が好きだったので、部活に行くのが楽しみでした。人として素晴らしい先生でした。人として当たり前にこなすべき礼儀をしっかり教える先生で、たとえば時間に厳しく、遅刻するとランニングさせられます。僕はそのおかげで時間を守る大切さを学び、部活以外の場面でも遅刻しなくなりました。そういう厳しい一面もありながら、面白い一面もあって、この先生は数学の授業も担当しているのですが、授業中にちょっと生徒がだれてきたなという時に、いい感じの音楽を流してくれたこともあります。
ーー高校でもサッカー部を続けましたか。
いえ、ハンドボール部に転部しました。高校のサッカー部は全国大会に行くレベルで、中学生の時に、さいたま市立浦和の高校生と合同練習をしてレベルが高すぎると感じたので転部しました。それと高校サッカー部は、高校3年生の12月までやるので受験に響きます。
ちなみに、高校の部活では、高入生が強いです。また、内部進学生であっても高校3年生まで部活を続ける人が多いです。高校2年生のうちに辞める人はほぼいません。
ここはリア充天国。体育祭後の打ち上げ花火を彼女と鑑賞するのが定番
ーー勉強にも部活にも一生懸命な生徒の姿が思い浮かびます。それでは行事について聞かせてください。体育祭はどのようなものでしたか。
めちゃくちゃ一致団結します。だから普段の授業では味わえない高揚感を感じられてとても楽しかったです。高校では高校3年生から高校1年生までの全クラスの中から、3クラスずつが1チーム(高3の1クラスと高2の1クラスと高1の1クラスでチームを組む)になります。
自分のチームのメンバーが出ている時は、他のメンバーは応援するんですけど、サッカーのワールドカップみたいに肩を組んで歌を歌ったりして、熱が入っているんです。他には、クラスでクラスTシャツを作ったのも楽しい思い出です。
そして、体育祭が終わったら後夜祭というものがあり、花火が打ち上げられます。それをカップルで見るのが、さいたま市立浦和体育祭の定番なんです。ただ、恋人がいないととても寂しいです。恋人がいる生徒が多いのですが、僕は高校2年生の時の体育祭では彼女がいなかったから、あ、彼女がいないとこんなに寂しいんだと辛酸をなめました(笑)体育祭で彼女をゲットする人もいて、みんなの前で大声で告白して成功してましたね。
ーー体育祭は驚くほどのリア充祭りになっているようですね。それでは文化祭も大盛り上がりなのでしょうか。
すごい盛り上がりですよ。来場者が多すぎて、各出し物に長い長い行列ができます。ディズニーランドかなというほどに。だから廊下が人でキツキツになっています。県内の学校で一番来場者が多いんじゃないかとおっしゃっていた先生もいらっしゃいました。
他の学校の文化祭に行ったときに、人で廊下がキツキツにならないことに驚きました。手前味噌ですが、さいたま市立浦和の文化祭は出し物のクオリティが圧倒的に高いと思います。
ちなみに僕のクラスではお化け屋敷をやりました。お化け屋敷をやったクラスは合計9クラスあったのですが、来場者の投票の結果、僕のクラスがその中で一番人気になりました。僕はお化け屋敷のラスボス役をやって人気に貢献しましたよ。
受験を考えている人は是非一度文化祭に来て欲しいです。小学生は人の多さに少し面食らうかもしれませんが、保護者の方には楽しさや充実感が伝わると思います。
ーー文化祭で廊下がキツキツになることなんてあるんですね。少し覗いてみたいです。
先生に怒られたことなし。厳しい校則なし。しかし荒れることもなし
ーーこれまで非常に楽しそうな学校生活を語っていただきましたが、校則についてお聞きします。学校の公式ホームページには自由闊達と書いてありましたが、それが表れていたと思いますか。
そうですね。自由でした。校則を感じたことがありませんでした。非常にごく普通のルールはあったようで、例えば髪を染めてはいけないなどです。でも僕は染めようとは思わなかったので、それで不自由だと感じたことはなかったです。頭髪検査もありませんし、何か身なりについて注意されたことはなかったです。
女子はスカート丈が短いとちょっと声をかけられていましたが、それも怒るというよりは穏やかな顔で言われるので、挨拶程度の声かけです。
ーー携帯電話についてはどのようなルールになっていましたか。
中学では携帯電話はロッカー室の中に置いておかなきゃいけないというルールでした。本当はロッカー室の中でも使っちゃいけないんですが、ロッカー室の中では使っている人は多かったです。
高校になるとルールが緩くなって、携帯電話を教室に持ち込んで良いですし、休み時間であれば自由に使えます。
ーー携帯電話についてもかなり緩いルールのようですね。校則だけでなく、先生方も厳しくないのでしょうか。
僕自身は高校3年間で1回も先生に怒られた記憶はありません。怒られたことのある人の方が珍しいという感覚です。先生が怒ることが稀なので、もし怒られた生徒がいたら、「え、あいつ先生を怒らせたの?」というように驚きの眼差しで見られます。
ーー非常に穏やかな先生方だと伝わってきます。でも怒られないと荒れる生徒が出てきたりしないのですか。
しないんです。先生は非常に優しいのですが、荒れることはありませんでした。生徒が本当にいい子ばかりというのは一因だと思いますし、礼儀的なことを部活で教えられるというのも一因かもしれません。
ーー自由闊達・自主自立という、学校の教育方針通りの様子ですね。素晴らしいです。
生徒も先生も母校愛で溢れている
ーーさいたま市立浦和中学・高校は伝統を大事にしているという情報を学校パンフレットで見ましたが、母校の伝統というものを感じたことはありますか。
先生にも生徒にも、学校の伝統を大事にしたいという思いは感じられます。例えば、僕が所属していたサッカー部の顧問の先生は市立浦和高校出身なのですが、何かにつけて、「市立浦和は本当楽しいよな」「先生ももう一度市立浦和高校時代に戻りたいわ」とおっしゃっていて、本当に母校を愛しているんだということが伝わってきました。
さらに僕たちが卒業後、その先生はさいたま市立浦和高校時代の同級生と結婚したんです。先生、母校のこと愛しすぎでしょって、友達みんなとお祝いしに行きました。その後子供が産まれた時も、またみんなでお祝いしに行きましたよ。
他にはさいたま市立浦和高校のサッカー部はユニフォームがオレンジ色なのですが、このオレンジ色のユニフォームを着ることが夢で高校に入学してきた高入生もいました。母校への憧れは、高入生の方が強いかもしれません。
ーー先生も生徒も学校を好きなんだという雰囲気が伝わってきました。どういう人がさいたま市立浦和中学・高校に合うと思いますか。
明るくて誰とでも仲良くなれる人や、勉強ばかりではない学校生活を存分に楽しみたい人ですね。
ーー最後に、さいたま市立浦和中学を目指している小学生に一言お願いします。
僕は生まれ変わってもまたこの学校に入学したいと思っています。それぐらい楽しい中高生活でした。中高生活が楽しいことは保証されているので、入学後の生活への期待をやる気に変えて、受験勉強頑張ってください!
その他細かい情報
・食堂について
中学は給食。高校は弁当か食堂。しかし食堂のクオリティに満足できる人は少数派だったので、多くの友達は弁当を持参していた。僕や友達は、弁当を1~3時間目の間の休みに食べてしまって、昼休みは体育館でバスケをするという過ごし方をしていた。
・購買部について
購買部ではないが、昼休みにだけ渡り廊下に、パンやおにぎりが販売されるコーナーが設置される。机の上に商品を並べて販売する形。文房具の販売はない。
・プールについて
中学ではプールの授業があった。外のプールなので水は冷たい。立てたばかりの校舎にプールがあったので綺麗だった。高校はプールの授業はない。水泳部も存在しない、
・退学・留年・不登校など
内部進学組の僕の学年では、不登校になった人が一人だけいて、高校に上がる時に退学していた。
留年者はいなかった。高校2年生の時にオーストラリアの高校に移った生徒がいたが、高校3年生の時に軽い試験を受けたら戻ってこれた。
・修学旅行について
中学ではオーストラリアに行く。1週間程度のホームステイで、最後の一泊だけ良いホテルに泊まる。毎日英語で日記をつける課題があり、真面目に取り組んでいたら最後の日はスラスラかけるようになって驚いた。1家庭につき生徒1人のホームステイ。
現地中学生と話すイベントもある。初めて外国人と話したのですごく楽しかった。自分の英語が通じるんだと。
高校はシンガポールに行く。3~4泊程度だったと思う。ホテルに泊まってシンガポール市内を観光。これが楽しかった。マレーシアの高校生と交流するイベントもある。
・学校公式の成人式
学校公式の成人式はないが、成人式では、仲の良い市立浦和生で集まって、そのまま中学校に行き母校をバックに写真を撮ったりした。
・自転車通学について
中学は自転車通学禁止なので、北浦和駅から15分程度歩く。高校生になると自転車通学が解禁されるので、自転車通学が多い。
・内部進学生と高入生との関わり、学力について
内部進学生と高入生はクラスが一緒にならないので、普段交流する場面は主に部活。だからそこまで仲良くはならなかった。
学力は高1・高2では、平均すると高入生の方が成績が良いように思う。ただ、高校3年生になると、内部進学組が二極化し、内部進学組の上位層は高入生の上位層よりも成績が上になる。東大に進学した人も内部進学生だった。
インタビュアーあとがき
こちらの卒業生は、中高時代を非常にエンジョイしていて、それでいて、勉強も頑張り、まさに「青春」を謳歌している印象を持ちました。学校を愛していて、行事を全力で楽しみ、そして切磋琢磨して上を目指す、やる時はやる、そんな人が浦和には多いのかな、と思いました。これからどういう進路に進むのか、大学生活も存分に謳歌して、自分なりの道を見つけてくれることと思います。
現在、母校の中高について話を聞かせてくれる大学生を募集中です。詳しくはこちら